日本で教育を受けた人であれば、歴史の時間に「太閤検地」と言うのを習ったと思います。
今の小学校のカリキュラムの中にあるのかどうかは知りませんが、私も習った記憶があります。
ですが、私は歴史も得意ではないので、それを紐解く場合には必ず何かしらの資料に頼ります。
そんな私でも太閤検地は豊臣秀吉が行ったことというくらいは知っているわけで、
で、ふと道端を見ると、
こんなものがありました。
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これは多分土地の境界線を示すためのものだと思うんですが、
それになぜか桐の紋が書いてある。
一瞬「結界」って書いてあるのかと思いました。
桐の紋と言えば豊臣家、
土地の測量で思い出すのは太閤検地。
もしかして土地の境界線の標識には、秀吉の太閤検地にならうという意味とかで、桐の紋が使われているのか?
と、歴史ロマンに心を躍らせました。
そんなわけは無いと思うんですが、
いろいろググって見ても境界標と桐の紋の関係がよく分かりませんねぇ。
よく総理大臣が公式の会見をする時なんかは演台の前に桐の紋がついてますので、もしかしたら国関係と言う意味?
とも思ったのですが、国が使ってるのは真ん中の花が7つと左右の花が5つずつの「五七の桐」と言われるタイプ。
でもこの境界標に書かれているのは真ん中が5つで左右がそれぞれ3つの「五三の桐」。
だから国関係でもないんじゃないかな。
で、先にリンクしたWikipediaの桐の紋のページをよく見ると、
「法務省のように五三桐を使用することもある。」
とある。
不動産の登記先は法務局。
どうやら法務省関係が絡んだ標識と言うことなんでしょうね。多分。
でもどうして法務局は「五三の桐」を使うのでしょうか。
何だかだんだん本題からずれていきそうです。
まぁ真実が何であるにしても。
「土地の測量は太閤検地にならっている」
という話にしといた方が、何だか楽しいですね。
今回は写真少でした。
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