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尾道発 - カメラ屋の独り言 -  Presented by せいのカメラ店



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沖縄は古くから栄えていて、その歴史はかなり古いということを知っている人も少なくないでしょう。
首里城も代表的な歴史建造物ですが、最初に建てられたのは14世紀ではないかと言われています。
その首里城といえば、沖縄本島内に3つにわかれていた国を統一した象徴ですが、実は統一王朝の最初の都は首里ではないという話は県外ではあまり知られていないことかと思います。
P1040525.jpg
と言うことで宿題も兼ねて。

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拍手[3回]

向かったのは浦添城跡。
琉球の歴史を紐解くと、どうやら最初の統一王朝は浦添なんだとか。
そしてその拠点が浦添城。

でね、今回ここに来たのは、うちの子供の夏休みの宿題で、新聞を作るというのがあったんですね。
それでどんな記事にしようかという話から、母さんの育った町の歴史をみんなに紹介してはどうかということにしたわけです。

それでちょっと調べていると、浦添は首里の前に統一王朝があったという話がありましたので、それを調べて記事にしてみようという話なわけです。

浦添城跡には、何年か前に復元された、初代浦添王の墓である、「浦添ようどれ」があります。
まずはそこに行ってみましょう。

P1040504.jpg

浦添ようどれに行く道には、このような石造りの門がありました。

P1040513.jpg

こちらがその浦添ようどれ。
左隣にもう一つお墓の扉があります。

で、実は浦添城跡のすぐ近くに、ようどれ館というのがありまして、そこに浦添城にまつわる資料とともに、ようどれの内部を再現した部屋があるんですね。
つまり上の写真の部屋の中ということです。
ですのでちょっとそれをご紹介。

P1040496.jpg

室内にはこのように、石造りのお棺が並んでいるんだそうです。
中をのぞくと、

P1040500.jpg

ちゃんとお骨も再現されていますね。

P1040526.jpg

そしてこの浦添城跡ですが、結構眺めのいい高台にあります。
宜野湾のコンベンションセンター(赤矢印)はもちろんですが、残波岬の方(黄矢印)まで見渡せますね。
やっぱお城だけのことはあります。

では浦添城跡を後にして、次に向かったのが、

P1040536.jpg

普天間街道。
今は言い方が変わって、「普天間参詣道」(ふてんまさんけいみち)というらしい。
普天間参詣道というのは、首里城から普天満宮に参拝するために造られた道なんだそうです。

P1040547.jpg

そして、その道は首里以前の都であった浦添を通っているわけです。
その普天間参詣道のほんの一部ではあるんですが、当山という地区に再現されているというわけです。

P1040553.jpg

その道がこちら、

P1040558.jpg

途中には川と、それを渡す石橋があります。

P1040531.jpg

この再現された部分のみを「当山の石畳道」と名付けられていますね。

うちの子も、実際に琉球の歴史建造物を見て、新聞記事にうまくまとめられるでしょうかね。

私も今まで来たことなかったし、なかなか面白い体験でした。

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